「地域連携」における「地域」とは何か?
「学校と地域の連携」などといわれるが、この場合「地域」とはいったい何を意味するのだろうか。
それが何かをここで規定することは困難だが、「学校」と「地域」が対比され「学校」との組み合わせで「地域」という用語が用いられる場合に限定してみても、行政的、文化的、歴史的、心理的意味合いが輻輳している。
たとえば「地域住民の学校経営への参画」という場合の地域とは行政的な範囲を意味するのであろうし、「地域は崩壊した」というような場合は、文化的、心理的側面からその関係性が崩れたことを意味するのでろう。また、「地域を愛する」というように「地域」が「郷土」の意味合いを臭わせて用いられるときには文化的、心理的な意味合いとともに、歴史的な意味も含まれてくる。
こうしてみると「地域」という言葉には多様な意味が込められていることが分かる。と同時にこのように考えてみると、新興住宅地のように「地域」によっては文化的、歴史的、心理的意味合いを込めてこの言葉を用いることが困難で単に行政区としての意味しか込められない場合もあるだろうし、長い歴史を持ち文化的にも心理的にもその周辺とは異なる特質を持つ「地域」もあることが想像できる。もちろん、両者が混在している「地域」が圧倒的に数多いであろう。そこでは、必ずしもその「地域」の歴史的・文化的意味を共有していない新しく流入してきた人たち(祭りなどの伝統行事があるわけでなく、文化的にも心理的にも組織化がなされていない場合も多い)と、数代以上にわたってそこに住み特有の心理的結合意識をもった人たちが混在している。
各学校はこうした様々な背景を持つ「地域」の中にある。また、大阪のような都市の場合、それぞれの「地域」にすむ人たちは経済的にも様々である場合が多く、出入りも激しい。
このようなことを考え合わせると、学校がどのように「地域と連携」していったらよいのかの一般的な方法は考えにくい。個々のケースでどのような連携が可能か、それぞれの「学校」や「地域」が模索していくのが現在の段階なのではないだろうか。
すなわち、各々の学校で、その存続や課題解決にとって「地域とは何か」が、それぞれに考えられてよい。最初から理想的な「連携」がイメージでき、「地域」の方から逆に「学校とは何か」が問われるようなケースもあるであろうが、中には住んでいる人たちが個々バラバラで、「連携」相手の「地域」そのものをつくるところから始めなければならない学校もあるだろう。
「地域」も「連携」も、はじめからあるはずのものなのではない。ましてや「地域との連携」とはかってあった形を懐かしみ、よみがえらせるものでもない。むしろ、転換期の変化の中で新しく作り上げるもののように思われてならない。
ちなみに、地域と学校の関係が問われたのは、今に始まったことではない。1930年代の、世界恐慌直後の混乱期にも、地域と学校の関係は盛んに議論された。すなわち、「1929年の世界恐慌を発端とした旧来の経済システムの崩壊、伝統的な農村型コミュニティの瓦解、それに代わる新しい社会構成原理の未成熟など、人々の生活は新たな課題解決に向けて「新規まき直し(ニュー・ディール)」を求めていた」(小松,2002)。にもかかわらず、当時の学校は、アカデミックな知識や技術の伝授と覚え込みなどの伝統的な活動が中心」であり、社会生活とかけ離れてしまっていた。そこで、地域と学校の関係が再検討されたのである。この米国での動向が戦後直後の日本にも直接影響を与えたのは言うまでもない。
わたしたちの今の時代もまた大きな転換期にあり、人々はやはり「新規まき直し」を求めている。こうした時代において、人々の関係性は、学校においても地域においても、そしてそれらの間の関係においても再構築されなければならなくなったと考えられる。
どのように再構築するかの答えは、どこかの誰かがもっているわけではない。わたしたち自身が、それぞれの学校でつくっていかなければならないものだと思われる。
小松郁夫(2002) 「新モデル校としての『コミュニティスクール』」、日本教育経営学会紀要、第44号、pp.43-53
水本徳明(2002)「教育経営における地域概念の検討」、日本教育経営学会紀要、第44号、pp.2-11.
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